職場や学校で周りの目を気にして
過ごしていませんか??
こんにちは、
とりけんです。
職場や学校で、誰もが直面する人間関係の悩み。
「周囲の人に嫌われたくない」と考えて、
自分の意見を押し殺して生きる人は少なくないです。
他人と自分を比較して劣等感にさいなまれて、
自己嫌悪に陥る。
自分の性格上の問題を、
過去のトラウマに原因があるとして、
不幸だと嘆く。
職場では、上司の顔色をうかがったり・・
上司によく思われたいと考えたりして、
気持ちを曲げて発言する人がいます。
同僚などとの横のつながりでも、
自分がどう思われるのかをいつも気にして、
嫌われないようにする。
なるべく目立たないようにしようとする人も
少なくありません。
Twitterでも、ツイートする際に、
「いいね」押してもらえなかったらどうしよう・・
と悩んで“受ける”ツイートを書いてしまう。
押してもらえないと残念なので、
自分の真意でもないことを書く。
インターネットやスマートフォンが
普及して周囲とつながる機会が増える中、
嫌われることを恐れる人が増えているように思います。
最悪な状況を想像してください。
自分の意思を曲げて、
結婚をあきらめた場合、どうなるのか。
誰のための人生を生きているのか。
自分の人生を生きているのかということになる。
それでは意味がありません。
嫌われる勇気を持っていないと、
何のために生きているのか、
分からなくなります。
承認欲求は必要なのか??
『嫌われる勇気』は
職場や学校、家庭での対人関係に
悩む人にとって非常に
クリティカルな内容だったといえます。
その一例が「承認欲求」の扱いです。
「人から好かれたい」「認められたい」という、
誰もが多少なりとも持っています。
「承認欲求」を、アドラー心理学では否定しています。
アルフレート・アドラーは、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。
人から認められることは確かに自信につながりますが、
それはともすると何かを判断する際の基準が自分の意思ではなく
「他者からどう思われるか」にすりかわってしまいます。
何より、「他者からの承認が得られるかどうか」というのは、
そもそも他人が判断する領域の課題であり、
自分の課題ではないからだ。
もめても、粘り強く説得して、
最終的に折れることがない。
そんな生き方を選んだ方が幸せを感じられるはずです。
そうはいっても、
自分の行動を肯定されたいのが人間というもの。
他人からの承認なしでそれは可能なのでしょうか?
アドラーは「承認欲求」の呪縛から放たれるため考え方を
「共同体感覚」という言葉で説明している。
「共同体感覚」とは、
自分を学校や職場、国家、世界、
さらには宇宙といった共同体の一部だという感覚を指す。
そして、その共同体のメンバーである他人に対して
「何ができるか?」と視点で行動することが、
「承認欲求」からの解放につながるというのだ。
思えば「他人に認めてほしい」というのは、
他人から「評価」という贈り物を求める姿勢である。
他人を見ているようで自分しか見ていない。
これに対し、
「他人に何を与えられるか」という
「与える姿勢」は、
きちんと他者を見据えた姿勢だといえよう。
これらは対極にある。
アドラー心理学は、
我々が常日頃から悩んでいることを、
考えもしなかったような切り口と
解釈で新しい価値観を提示している。
人生は他者との競争ではない
人に承認されなくても、
貢献感を持つことが大事です。
例えば、家事の1つに洗濯があります。
妻がする場合が多いのですが、
夫や子供が手伝わず、
なぜ自分だけがやらなければならないのかと
腹が立つ人がいるかもしれません。
でも自分だけが洗濯を上手にできて、
家族の役に立っていると
考えるようにしたらどうでしょうか。
こうした貢献感があれば、
ほかの人が承認してくれなくても、
満足感が得られます。
自分が幸せにならないと、
ほかの人も幸せになれません。
大事なのは、過去ばかりを振り返って
あれこれ考えることではありません。
今、この瞬間をあなたが、
いかに生きるのかです。
変われるのは自分だけであり、
自分が変われば、世界も変わります。
PS
『嫌われる勇気』
アドラー心理学の嫌われる勇気は
2013年発売にも関わらず、
今でもAmazonで自己啓発本カテゴリの中で
ランキング上位に入っている名著です。